ぺんてるを買ってまで。


最近は多くの時間をスーパーのレジ台で過ごしていたりする。


簡単な仕事の割に実入りがいいのだが、如何せん暇と退屈が難敵で、だからそいつを紛らわそうとついつい客とカゴの中身を眺めてしまう。


有り体に言えば、買い物カゴの中身は各々の生活が溢れていて、
保護出来ない無数の個人情報が、こぞってレジに流れてくるような気さえする。


例えば、先日のこどもの日。
店は休日を彩る人々で繁盛していた。


笑顔の老夫婦と孫たちは大量のお寿司と食材とお菓子を携えて。
きっとこの後、夫妻の食卓にはテーブル一面にこれらが並ぶことだろう。
それを囲う笑顔が頭に浮かんで、なんだかこちらまで嬉しくなる。


ベビーカーを連れた家族連れも多くいた。
そして一様にちまきを買っていく。
店内のどこかで配っていた紙の兜を被った子どもたちも上機嫌だ。

勿論、少し迷惑な客もいる。
仏花を買いに来たB-BOY風の兄ちゃんは、いきなりに捲くし立てた。
「おい、丁寧に扱わんと殺すで。その花が何の花か知っとるか?仏壇に備える花やぞコラぁ!」
先祖様に向ける優しい眼差しを少しでいいからこちらに向けてくれと、僕は願った。


色んな人がいて、それぞれの形がある。
この数年間で自分がすっかりと失念していたことを思い出しながら、日々を送っている。
さながら今にも抜けそうな乳歯の上に立っているような現実に、激しい後悔の波が襲ってくることもしばしとあるけれど、
それは次なる永久歯のためにある生え変わりの痛みだと思うことにした。
と言うよりは今、独り言のようにここに記して、そう結論づけたいだけなのかもしれない。
まあ、それはそれで。
神聖かまってちゃんとは私のことよ、と開き直る。
いつかはメジャーデビューできるかもしれないし。そんな罠。


と、無計画に文字を打ちつけたら売れないビジネス新書のような中身のない文章になってしまった。
現実には夢を叶えてくれる象も古田新太も、ましてや空飛ぶ福耳の象も現れはしないけれど、アドバイスや励ましをくれる人は沢山いる。
見習うべき人も、沢山。
それを有り難き、と丁寧に受け取って行かないとなあ。
自分が幸せと気づかないことが一番の不幸せ。
だから、書を捨て街へ出ようと思う
もっとも、「夢をかなえるゾウ」読んでないしね、だから捨てるものも無いや。


この頃、しばし思い出す光景がある。
去年の夏、深夜の自動販売機の灯りの前で友人は言ってくれた。
「神様はそれを乗り越えられる人にしか、試練を与えない」


噂によれば神様は八百万もいらっしゃるのだから、僕などに試練とやらを出す暇で報われない神様がいたっておかしくないのかもしれない。
都合良すぎるな、と思いながらも今はそう信じていたりする。


きっとどんなビジネス新書にも載っていないであろう、最近の金言。