ギブユーチョコレイト


スーパーでレジ打ちをしている。
今日のことだった。
僕の立つレジ台に一人の老紳士がやってきて僕に訪ねた。




「アルファベットチョコはありませんか?以前はあったんだが、今日はどうも見当たらなくて…」




「アルファベットチョコ」とは老舗・名糖産業が販売している包み紙にくるまれた一粒状のチョコレートのことだ。
名前は知らずとも誰もが一度は口にしたことがあるであろう、ついつい手が伸びてしまうあのチョコレート。
確かそれならあの場所に陳列されていたはずだ。
「探して参りますので、少々お待ちください」
と老紳士に告げて、僕は駆け足で売り場に向かった。




しかし、いつもの棚にアルファベットチョコはなかった。
アルファベットチョコに取って代わったその場所にはスーパーが自社開発したいわゆるPV商品の安い類似品が大量に並んでいた。
とりあえずその一つを手にとって、老紳士の元に戻る。




「申し訳ございません。アルファベットチョコは取り扱いが終了してしまいまして…」
そう告げると老紳士はとても悲しそうな顔をした。だから僕は慌てて、
「代わりといっては難ですが、こちらの類似商品がありまして…」
ついつい取り繕うように安いPV商品を薦めてしまった。
すると老紳士は寂しそうな笑顔を浮かべてそっと口を開いた。




「お兄さん、折角ですがそのチョコなら結構です」
「煩わしいことを言ってすまないが、私にとってはあのチョコじゃなきゃ駄目なんです」




それから少しの間、老紳士は語ってくれた。
戦後まもない頃に初めて食べたのがアルファベットチョコレートだったこと。
滅多に口に出来ないそれが最高の贅沢だったこと。
大人になってもずっと愛食していたが、最近じゃ取り扱う店舗が少なっていること。




「その少ない取り扱い店の中でも、ここは一番安くて重宝してたのですがな…」




アルファベットチョコはもっと安いもの取って代わってしまった。
スーパーだって商売だ。儲けの多いPV商品を店頭に並べるのは当然だし、最も、まだ遠くの店に行けばアルファベットチョコは売っている。
ただ老紳士にとって、近所のスーパーで大好きなチョコを買うという彼のささやかな日常が欠けてしまったことを寂しく思った。
まるでかつての遊び場の空き地がビルに変わっていしまったような虚無感。
それに、チョコを手にとって僕のレジを通る彼を見ていたいと、少し勝手なことも思ってしまった。




それから老紳士は丁寧に僕に礼をして、レジを去っていった。
彼の未練を誰かに伝えたい。仕事に戻りながらぼんやり考えていた。




終業後、店内に設置してある「お客様ご意見ボックス」の前に向かい、ご要望カードにボールペンの先を走らせた。
「名糖のアルファベットチョコレートをまた取り扱ってくれませんか」
そして妙な使命感と一緒にポストに投げ込んだ。
それが自己満足になり変わっている気もしたけれど、まあ…と考え直った。
僕だって従業員だけど、まだアルバイトだしお客といえばお客でもあるし。
なにより、僕もアルファベットチョコレートが食べたくなったんだ。




冬に食べるチョコは美味しいしね。





名糖産業 アルファベットチョコレート 222g

名糖産業 アルファベットチョコレート 222g

「明日に向って撃て!」を観ました。






うまくやれると思っていたんだ
夢で夢を奪う人生を
ユーモラスの銃弾に込めて


泥水に倒れこむ自転車
映るホイールは空回りさ
最高だろう


奪い取った昨日なら
利子付きの未来で返してやる
それでもいいならついてこいよ
止まった時間の中を駆け抜けろ
明日に向って撃て



                                                                                                                                                        • -



そんなわけで昨日「明日に向って撃て!」を鑑賞しました。
東宝が展開する素敵キャンペーン「午前十時の映画祭」の一作でございます。
学生の私は500円で過去の名作がスクリーンで堪能出来るということで、足繁く通っております。
もっとも「用意された名作を鑑賞する容易さ」も少し問われる今回のキャンペーンではありますが、この機会は逃せませぬ。


そんなわけで「明日に向って撃て!」ですが、今の私には悲しい映画に見て取れました。
男たちは夢で夢を奪うように列車強盗を繰り返すが、時代の変化に取り残され、顔のない追っ手から逃げるようにボリビアへ。
新天地でも彼らは踊るように悪事を続ける。しかし、夢を彼らの前に提示される現実は彼らに強盗意外の人生を許してはくれなかった。
だから、彼らは死しても尚、夢を見ることを選んだ。
あの有名なラストシーンが描いたのは、やはり夢の先の見えない夢だったのじゃないかと、そんなことを考えていました。


やはり象徴的なのは執拗に2人を追跡する「顔の無い追っ手」の存在でしょうか。
おそらくは「先の見えない現実の恐怖」のメタファーである追っ手の存在に、彼らは「どこまでも全力で逃げきる」ことを選んだ。
それは臆病ながらも彼らの生き様を美しく描いているのです。


また、この映画で「未来」のメタファーとして登場するのが自転車。
ボリビアに行くことを決意したとき、主人公はこの自転車をぶっきらぼうに手放してしまいます。
主を無くした自転車は倒れ、カラカラと車輪だけが廻る。
主人公たちの未来、ボリビアでの生活が空回りすることを暗示する印象深いシーンでした。


「人は生まれ変わることができる」と誰もが口にします。
しかし、たった一度の人生の途中から「生まれ変わる」ことは途方もなく難しい。
実際、彼らは幾度とあった強盗から足を洗うチャンスを逃してしまった。
いや、生まれ変わることなんて出来やしないのでしょう。
完全に生まれ変わらずとも、酸いも甘いも身体に溶かしていくように変わっていける人生を送りたいなと思う次第です。


ただ、無責任なことを言うならば、最後まで夢で夢を奪うことを捨てなかった彼らはたまらなく格好良かったし、だからこそ哀しかった。








羅列4「透明な傘の上に雨が咲いた」





大貫妙子さんが1978年に発表した「都会」という楽曲がある。
この歌詞に七夕の日の心は囚われていた。


華やぐネオン、眠らない街に踊る人々を横目に「私」は凛と告げる。


「その日暮らしは止めて 家に帰ろう 一緒に」


1978年といえば日本が鰻登りの夢を見ていた頃。そんな時頃に冷静な視点を落とす大貫妙子さんの心持ちには驚かされる。
時代は巡って今や2011年、私たちはすっかり夢を見なくなった。いや、夢を見ることを恐れるようになった。
きっとそれは進歩した科学の恩恵で、虹のふもとに何も無いことを知ってしまった現代人の悲哀なのかもしれない。


けれど、1978年に踊っていた彼らもまた、今と同じように夢の終わりを恐れていたのではないかと思うのだ。
夜の街を駆け巡りながら、頭の片隅で家に帰ることを、居間に腰を下ろしてゆっくりと時間を刻むことを望んでいたのかもしれない。
一緒に遊んでいたクラブの姉ちゃんが突然「あたし、もう帰りたい」と言い出して、夢から覚めた誰かもいたのかもしれない。
今となっては全て割れた泡の中のお伽話。


2011年に住む私たちもきっとどこかへ帰りたがっているのか。
勿論、そんなことも言っていられない昨今だ。ただでさえ消えかかる数字のような現実を掴み取らなければ、吊り橋の糸は切れて川底に落ちてしまう。
そういう意味ではいくら文明が進歩しても人は「その日暮らし」から逃れることが出来ないのかもしれない。
それでも、時として消えかかる数字に手を振って、家に帰る勇気が必要な時もあるだろう。
本来、人間の手など誰かと手を繋ぐためにあったはずなのだから。






SUNSHOWER

SUNSHOWER

羅列3「目覚めると僕は英語を話せるようになっていた」










目覚めると僕は英語を話せるようになっていた。
そんな夢物語は夢の中でも訪れそうにないので、ここはひとつ奮起してみることにした。


「私、英語ペラペラになります計画」


大きな目標としては、この2つ。
■日常会話を英語で嗜める程度の英語力を身につける
TOEICスコア750点を取得
いずれも、年内達成が目標。



※目標達成のための大まかなスケジューリング
7,8月…高校時代の参考書を総復習。簡単な英会話本で反復練習。
9,10月…TOEIC対策本を徹底的にドリル。映画を中心に会話表現を学ぶ。
11月…本試験対策。以前のパターンの総復習。
12月…本試験、750点を掻っ攫う。


あら、本当に大まかね。
進行と同時に具体的な目標に研磨していく必要性あり。


※遵守したいルールも考える。
■1日2時間以上は勉強しない。
■けれど、毎日1時間は何らかの形で英語学習に時間を割く。
■単語と単純会話練習は毎日行う。
■なるべく楽しい方法を模索し続ける(フリーの英語教室を探す等)
■留学生の友達を頑張って作る。
■洋楽聴きまくる。


さらに詳細化。
■あくまでスコア目標は副産物。「話せるようになるか」に焦点を置く。
■でも750点は絶対取る。必ず付いてくる。
■自分の性格を鑑みて、Twitterやブログで進捗状況を(勝手に)掲載する。
■さらに友人にも吹聴する 。
英語圏の生活そのものに関心を抱くようにする。


最初のアウトプットとしては、こんなところでしょうか。


※今回の計画の動機。
■根源的な英語コンプレックスからの脱却
■最近、喫茶店で金髪美女とお茶してる日本人男性(なんとなく仕事できそう)を良く見かけてしまって、嫉妬メーターが振り切れそう。
■昔の映画を観る際、「字幕:戸田奈津子」に遭遇したときのやるせなさに立ち向かいたい。
■もっと英語圏の生活を知りたい!
■英語学習をすすめる上で、日本語の良さを再確認したい。


こんなところでしょうか。
最初の動機って、不純な方が後にいい結果を連れてきてくれるって、勝手に信じている節があります。


そういうわけでいざ、本日から。
勇んで、楽しく、取り組んでいきましょうぞ。







はじめての新TOEICテスト 完全攻略バイブル

はじめての新TOEICテスト 完全攻略バイブル

羅列2







眠れない夜の朝は早くて。
とはいえ早朝に起きることも珍しい怠惰な身分なので、ひょいと近所を散歩してみることにした。




現在の根城は駅から程なく近くて、利便は良し。
けれど、おはようからおやすみまで小豆色の電車が線路を這う音がする。
まあ不思議と慣れるものです。



「朝を待つホームの静けさに」





「プラットホームに臨む道」




駅の近くにある小さな公園には、特に噴射はしない噴水があって、所在なさげに股間をまさぐる子供たちがいた。
「トイレに行きたいな」
「けど水は流れないんだ」
「おかしいよな、俺たち、小便小僧なのにな」





「囚われの子供たち」



その道すがらの公道に、紫陽花が咲いていた。
30度の真夏日が続く6月に咲かざるを得ない彼らにはひどく同情する。
「話が違いますぜ、親方!こんなに暑いって聞いてないですよ」
この世はとかく想定外。




真夏日に笑う6月の君」





気づけばもう夏の気配。
地デジが終わるよりも早く、夏を捕まえに行こう。



                         

トリビアの泉


■ケース1


いかなる時も全力を尽くすこと。
それが私の全てでした。


幼い頃から、白いボールとその先に転がる夢だけを、ただひたすらに追いかけてきました。
手を抜いたことなど一度もありません。


大人になるにつれて、私は世間が羨む「成功」とやらを手にしたのかもしれませんが、
それ自体に価値を見出すことはできなかったのです。
全力を出す、その一瞬だけに私は生きているのですから。


もちろん、その夜も全力を尽くさんとしたのです。
おいおい、尽くしたのは精力だろ?と勘違いをなさる方がいらっしゃいますが、
声を大にして言いたい。
私は私の哲学にしたがったまでなのです。
マウンド上には最高とうたわれたピッチャー。
スラッガーの私が打席に立たない理由がどこにあるのでしょうか。
両者の間に存在する、言い得ぬ緊張感と、血たぎる興奮。
長年、追いかけてきたものが目の前にある。
この世に生を受けたのは全てこの瞬間のためだったのだと、本能が囁いたのです。


もう説明は十分でしょう。
だから、私はバットを、自らの夜のバットを強く握ったのです。
いや、厳密には握ってもらいました。


もちろんそれがハイリスクノーリターンな戦いであったことは互いに(何となく)承知していたので、その後の失墜は仕方が無かったように思います。
しかし悲しかったのは、相手ピッチャー…「彼女」が私とのあの勝負を「無かったこと」にしようとしたことでしょうか。
いくら「彼女」がノーゲームを主張しようと、私の興奮と記憶がなくなることはないので、まあ取るに足らないことなんですがね。


先日、テレビにて久々に「彼女」の姿を見たもので、こちらに寄稿した次第です。
長くなりましたが、私から一つ、皆さんにお伺いしたいのです。


山本モナってマジでエロい」


これってトリビアになりませんか?


(男性 32歳 野球選手)

                                                                                                            • -


■ケース2


あたしには才能がない。
そんなことは知ってるの。
神様がたまたま指をさした先にいたのがあたしだった。
たったそれだけのこと。
運が良かったの。最初はそう思ってた。


今のあたしの「役割」は元気に歌うこと。
上手に歌うことじゃないの、ただ元気に、ひたむきに。
みんなが求めているのは健気に歌う「女の子」。
テレビに写るだけの都合のいい「女の子」。


求められるのは、本当のあたしじゃないって。
そんなの分かってる。それでいいの。
だってあたしには才能がないんだから。


けどね、あたしはわかってるの。
だから、いつでも求められる「あたし」でいることができるの。
相手が望む「あたし」っていう人形になれるの。
これも才能っていうんじゃないかしら?


一番のタブーは人形のお芝居を辞めちゃうこと。
みんなすぐに辞めたがる。
本当のあたしは違うんだって、汚いあなたをさらけ出したがる。
どうしてなのかしらね、不思議だわ。
だってそうでしょ?


本当のあなたは汚いんだもの。
離婚をするからって同情してくれると思うわけ?
「同情するなら金をくれっ!」って、あなた。
そんな乾いた涙には誰も振り向いてくれないわ。
世間はそんな甘〜いもんじゃないの。


あたしはそんなヘマしない。するもんですか。
いつまでもみんなが求める人形でいてやるんだから。
そしたら例の神様(白ひげ映画じじいw)も、またあたしが必要になるはずだわ。
ヒット曲が1曲じゃ、営業でロリコンオタクどもから搾り取るのも限界があるからね。
もう一発当てたいとこだわ。
…まあいいわ。とりあえずは目先のことが大事なのよ。


「正直、あと2年くらいはポニョで食っていきたい」


これってトリビアにならないかしら?


(女性 9歳 歌手)





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2年前にオレンジ色のチラシの裏に書いた文章でした。
懐かしかったので、こちらにも。







崖の上のポニョ [DVD]

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羅列1


ブログを書くとはひどく小っ恥ずかしいもので、世界に蔓延る蜘蛛の巣に自らの言葉を貼りつけたとしても誰にも読まれずじまい。
往々にして迎える結末はひどく寂しいものである。
私とて、この文章とて例外ではない。
物陰から覗く自己顕示欲も、灰色の吐息を漏らしてしまいそう。


さりとて、この散り散りした思いのようなものを少しでも形にしたいとなれば、こうしてブログにすがるのも悪くないだろう。
きっと世のブロガーと呼ばれる方々も、似たような思いを感じているのではと邪推してしまう。
最近の私の思考は買ってきたばかりの紙粘土のように綺麗な固形を保っているようで、形にならないもどかしさに地団駄を踏むような歯痒さ。
それならば、まずは丸くなるまでこねてみようじゃないか。
というわけで、三日坊主様がお見えになるまで、つらつらと文字を打ちつける習慣を持つことにしようと思うのです。
日々の呟きに執心するあまりに忘れそうな言葉の重みを感じるためにも、きっと必要なプロセスであると信じて。


絡まれるなら、絡みにいきたい、蜘蛛の糸